浄瑠璃寺の春に・・

 新しい春、人も組織もかわる春。京都・山城の浄瑠璃寺はいま、馬酔木の花が咲き誇っていることでしょう。堀辰雄が「浄瑠璃寺の春」という小編に書いたこともあり、この季節には多くの参拝者を迎えます。西の阿弥陀堂と東の三重塔が池を挟んで対峙する浄土様式。西方極楽浄土の阿弥陀如来を九体安置した阿弥陀堂に拠って、九体寺とも呼び親しまれる名刹の住職・佐伯快勝師が亡くなりました。83歳でした。

 来訪者に自由な思いを綴ってもらうノートを置く寺院が各地にあります。浄瑠璃寺もそのひとつ、快勝師がもう半世紀前から九体阿弥陀堂に置いています。筆者も学生時代、そのノートに幼く稚拙な文を残した記憶があります。

 全国の大学や高校が学園紛争に揺れていた1960~70年代のある日、阿弥陀堂を訪れた学生とおぼしき1人の若者が九体阿弥陀仏の前に正座し、瞑目していました。ふと座した足元を見ると、ヘルメットがひとつ。封鎖されたキャンパスから、あるいはデモに行く寄り道でしょうか。当時、学校や政治、社会の有り様に悩んだ数多くの学生たちが山門をくぐったそうです。快勝師が、友の会会報「小田原説法」に記した話です。

 筆者が訪れた当時、国宝の三重塔は朱を塗り替えたばかりでした。快勝師に疑問を投げかけました。「なぜ、こんな真っ赤に?興ざめです」と。快勝師は「これは美術品でしょうか?私たちにとっては信仰の対象なのです。わび、さびを日本人は好みますが、廃れていく姿をそのままにしておけない。創建当時の仏教が興隆したころに戻したのです」と明解でした。目から鱗が落ちる思いでした。仏教美術や建築への見方が変わりました。

 一昨年、馬酔木の季節に浄瑠璃寺を訪れました。ヘルメット学生の姿はなく、三重塔の朱は落ち着いた彩色となり、庭園の緑と見事に調和していました。